大地からと空から見ると
出張があり東京へ出かけてきた。
セミナーとSCAJへ行き見に詰まった時間を咀嚼し始めている。凝縮した2日間は、コーヒーと人、少しの辛いカレーで身が引き締まった。仕事柄、人と人との繋がりがコーヒーだったりすることが多いが、それはちょっと浅はかな言い表しかも知れないとふと立ち止まってしまった。何故そう思ったのだろうか。最初は確かにコーヒーのおかげだと思う。その後は少し違うように感じている。自分本位に考えると無意識に自分が懐ける相手を見つけているのだろうと思う。そういう人の言葉が身体中に刺さっていたりするのだ。それは決して痛いだけの傷ではなくて、飲んで苦い良薬的なスパイスになっているんだと、体内に流れる血液にも溶けて体や思考に関与しているといったイメージだ。自分の周りには年齢問わずそんな方々がいるのだ。
目標を突き上げて飛んでいく気持ちと、俯瞰して小さくなって見えない不安など何かしらある。どちらが優れているという基準ではなくてバランスをとることをしないと前へ進みにくくなってくるということだ。下からも上からも雲がかかると見る方向が見えなくて不安になってしまうが、雲こそがイレギュラーに思えてくる。しかしそれこそが自分を発揮する機会だと思っている。
コーヒーの美味しさや楽しさを届けたいと熱弁はするものの、いったいどんな相手へ届けたいのか知る由も無い。それこそマニュアルがあったら大変なことになりかねない。漠然たる見えない相手へ届けることの方がむしろ不安だ。何かを知れるまでは、感触を得るために自分を前に進めなくてはないけない。
今回の出張はそう思える機会だった。
なにかこうネイティヴにコーヒーを楽しんでもらいたいし、それを味わってほしい。