書くのが遅過ぎたなと反省はしている。
今回はざっくりと短く書くので悪しからず。
7月中旬の日本で最も美しい村連合季刊誌取材で奈良県吉野郡十津川村へ訪れた。
その前日まで北海道別海町でコーヒーのワークショップをしていたのだ。別海町の広々とした風景から一変し、十津川村は紀伊山地の深い山々に囲まれてまるで要塞のように思えた。夏の湿った空気と熱気を吸い込みながら取材は進んでいく。
人の声に耳を傾け、その想いを自分なりに考えていく内に、そこにはシンプルにこの地で暮らす姿となって現れる。
写真に収めていく行為が自分にとってそういうことなのかと、それも一つの理由になっている。
人が暮らす姿が好きでよく観察してしまう。
好きなように生きていけるならそれもいい。しかし、そうでない場合も、その為にやらねばならないことが多いのは苦しさを伴う。そこを面白く変えていく思考回路に興味が湧いてくるのだ。辛く険しくともどうにかして喜びや楽しみへ昇華していくのか、これがとても勉強になる。
生き様とは美しいの一言だけではは片付けられないほど重みがあるものだ。
そこに向き合ってなお考え苦しむ時もあれば、諦めてしまうことも少なくない。どんな時も自分を楽しみ、時には鞭を打って楽しませが、周囲を巻き込み楽しい領域が生まれてくるのかも知れない。そういう人たちの姿は光っている。
取材へ向かえばそう思うことが多い。
過ごし易さが来るまで待つのか、自分たちで創っていくのか。どこへいても、どこへ行っても割と同じなのだ。
人からもらったものなどいつしか飽きるか、苦言を漏らす羽目になる。
楽園は自分で創り上げていくものなのだ。
さて、明日から出張だ。目一杯楽しんでこよう。
それではまた。