大きめのカップ1杯分の分量
GWは気持ちの良い天候に恵まれていて、お花も見頃の様で楽しい連休になっているかと思う。
私はちょこまかと5月1日のリニューアルオープンに向けて仕事をしながらコーヒー豆を焙煎したりカレーを作っていた。窓から見える散り際の桜を眺めて、せめてあの木の下でコーヒーを飲みたいなどと思いながら夕暮れを迎えてしまった。
日が長くなった。
甲高い声が近くで鳴くので窓を開けてみると「シジュウカラ」が近くの梅の木でちょんちょん飛んでいる。
かわいい。
「シジュウカラ」はどんな鳥なんだろうと後で調べてみると体長約14.5cm、体重約14gだそうで、ほんとか⁉︎
数値で見ると思いの外小さいのだ。
ますますかわいいわ。
そういえば自分でコーヒーを飲む時には、このシジュウカラの体重と同じ14gの豆を粗めに挽いて1杯分のコーヒーに使っている。
何だか、シジュウカラにえも言われぬ愛着が湧いてしまった。かわいいじゃないか。
思い出
お店を開業した頃、コーヒーの本の類を読み漁って1杯分約8gをどうにかして美味しく淹れられないかを必死に探していた頃を思い出した。何も読み漁らなくても1gずつ増やすなり減らしたりしていけばよかったのに。なんて思うのだ。なんでも一気にこなせる様になりたいけど、それは無理のかかる続かない原因になる。そう思う。やりたいことをやりたいだけ必死になればいいのかな。それで突然に見えてくる領域があるから不思議だ。教本通りなんてしなくていい。自分の感覚を怖くても信じてみるのがいい。
例えばそれはギターの「Fコード」みたいに、最初は全く音が鳴らずにいて、でもある日突然に音が鳴り出す不思議とよく似ている。「Fコード」の音が鳴らない期間がどれほど悔しくて悲しかったかをよく憶えている。毎日毎日ボコボコと響のない音を出していたから止めてしまおうかと、才能ないんだとか、「Fコード」くらいで才能とか言っていた自分が情けなかった。ただいつか煌びやかに響く音をイメージしての練習は必要だったのだ。
コツはイメージを持つこと、続けること。
ま、そんな思い出まで小さな四十雀は思い出させてくれた。
日が暮れるとまだまだ寒い日もあるが、しっかり春うららな1日だ。