単純さと難解さ
子どもの頃に「どうしてバラにはトゲがあるのかな?」て思った。
学校へ持って行こうとして摘み取る時に握って棘が刺さり出血したことがあった。
先生にいい香りを嗅いでもらいたくて、でもいい香りがして綺麗なのに棘があって触れなくて悲しかった。
大人になってからは知識でそれを補い理解した。
理解をしたら途端につまらなくなり、子どもの頃のバラのことを思い出すことはなくなった。子どもの時のその時の素直な気持ちを感じなくなった。その単純な行動をしなくなったというより、怪我をしないで摘み取る方を先に考えてしまうのだ。いや、これは子供も大人も正解かも知れないが、損をするかも知れないがその衝動的な行動には誰かのための素直な気持ちで満ち溢れている。
その衝動には多くの諸問題は含まれると思うがね。。
大人になっていくと子どものような単純明快なことができなくなったり忘れていったりするのだろう。それは多かれ少なかれ様々な経験をして一喜一憂を繰り返すうちに生き方が難解になっていったりもするのだろう。本当はもっとシンプルに生きていいのに、そうなってしまうのだろう。それが自分を首尾よくコントロールしていくことだと思い込んだりしてるのだけど、守るべきは単純明快な素直な心だ。
私の勝手な考えだから悪しからず。
どんなに美しく写ったバラの写真だって香りは届けられない。子供の頃の私は香りを届けたかった。今の自分では怪我をしたバラの棘を美しく捉えられる視点を持つくらいがせいぜいのところだ。
バラは狂気の沙汰で、そして美しい。
知識や経験があっても未だに香りを摘み取ってこれないでいる。
素直な心を忘れたらその花の香りも消えてしまうだろう。