コーヒーを仕事にするということ
4月にカナダ・アメリカへ出張したことを『四季の珈琲 VOL.44』へ寄稿した。
私は開業してから今年で15年目を迎え、コーヒーのことは未だ分からないことが多い。知れば知るほど、行けば行くほどに豊富な課題と世界が広がっていてそこに飛び込むことは何かしらの決断がいる。何度も仕切り直しのように再スタートを切って、ネイティヴにコーヒーを体感していきたいと思っている。言葉でしか伝えられない制限や、感覚でつかみとることで吸収する自分自身の解釈、世に出ているコーヒーの情報はどこに切り口というか入り口と言えばよいのか、解りにくいことは少なくない。自分のコーヒー世界は自分で創り上げていくことで広げられるのだ。ただ、それが正しいとは言わない。自分が信じられる世界を持つというメリットがあることは大きい。それを駆け巡れるかどうかは自分次第であるが。
株式会社 マツモトコーヒー
その機会を存分に体験させてくれたのが神戸にある株式会社マツモトコーヒーの松本行広さんだ。
農園視察で訪れた国はインドネシア、グァテマラ、コスタリカ、コロンビア、ブラジル。消費国はアメリカ、カナダ。トランジットを含めると随分とご一緒して歩いてくれた。国内も色々な場所へ同行させてもらった。そして様々な人を紹介して頂いた。出張の際には何度同じ部屋で泊まっただろう?もしかすると父親よりも電話などで会話しているのではないだろうか?色々な言葉と場所でコーヒーと仕事に関わる時間を教わった。そういう方との旅だった。
農園視察では買い付けた豆を売らなければという使命感が言い訳に立つ。しかし今回のカフェ視察とは言ってみれば逃げ場のない空間だったように思う。ただの旅行にすればしてしまえることが苦しかった。現地では時差ボケでなかなか眠れない部屋でカフェで出会ったバリスタの方々の顔を思い出した。とてもいい顔をしていた。コーヒーを仕事にするということは決して特別なことではない。憧れや、理想は時に仕事の邪魔をする。仕事とはどういうものか、自分はどういう人間なのかということにフォーカスされていったのを覚えている。自分自身の行動を決めて自分で変化していかなければならない。それが今回のカフェ視察の収穫だった。やはりこれも今更ながらの気づきがあった。再確認とは簡単に使ってしまう言葉だが、私の場合は再確認するとやり直しが入ることが多い。それが自分のコーヒーとして『エキス』になれば良い。
今回の寄稿した四季の珈琲は書店では販売しておらず、コーヒー店などでもしかしたら見かけるくらいかもしれないので引用して下記に貼り付けておく。お時間のある方は暇つぶしにでも読んでいただけたら幸いだ。
4月15日~ 23日の間、カナダのバンクーバー、アメリカのポートランドとシアトルへ、カフェの視察に行った。シアトルへは、「SCAA Expo 2017」に参加するのが主目的だった。日本国内で開催されている「SCAJ」大会には毎年訪ねているので、それより大きい会場で開催されると聞いていたので、とても興味があった。その結果はどうだったかと言えば 、カフェ視察と一言で済ませるほど簡単な刺激ではなかった。
私は秋田県湯沢市と横手市で、コーヒー店2店舗を経営しておりスタイルは違えどもコーヒーの楽しさや良質な美味しさを探求しているが、そこで従事するバリスタへの指導のことを考えると、技術指導はもとより接客の重要さや、バリスタ本人のやり甲斐へと繋がる想いは少なくない。
今まで農園視察で訪れた多くの国々で、たくさんの農園主や農夫、また市内で働くバリスタと接してきた。そして今回は、コーヒーの消費国でのバリスタの人々と接する機会を持つことができた。バリスタとしてプライドを持ち、コーヒーとお客様と向き合う姿勢は素晴らしかった。その仕事を好きで選択した裏付が、しっかりと所作に見えることは、コーヒーをこれから飲む者にとっては大きな安心感を与えてくれることになる。
どんなコーヒーを選んだらよいのか、初めてのお店で緊張した感じや、言葉でうまく表現できない時も、何を注文したいのか汲み取ってもらえているという安心感。カウンターに立つとは、そんな動作から始まっているのだと再認識することができた。美味しいコーヒーをサーブすることを念頭に置くだけでは得られない、もとより美味しいコーヒーを作るのは当然であり、楽しませることを楽しんでいると言えば伝わるだろうか。
ここ数年の間にも日本国内のカフェも多く回った。とてもハイレベルであり美味しいと思った。そして格好も良い。しかし今まで何か物足りなさも感じていたことも確かであったが、今回の視察で自分の中で感じていた違和感の輪郭が見えたような気がした。
バリスタは人と人をつなぐ。コーヒーを売るだけの従事者ではない。理解していても見過ごしていたり、見落としていることも少なくない。至極当然の「楽しさ」の提供が、マニュアル化され過ぎているのかも知れない。スマートで洗練されたものは好まれるが、一方では敷居を上げてしまったりすることもある。時には人間臭い振る舞いをしたり、一歩踏み込んだり引いたりすることで相手のチャンネルに合わせられると思う。そこには心地よさが流れているのかも知れない。
磨かれた技術を駆使し、人(自分)としコーヒーをサーブしていくことで、バリスタの本来の使命さえも見つかるかも知れないと感じた。
バンクーバーでの、アットホームな賑 わいの「Greenhorn」や、女性バリスタが輝いて活き活きしている「Platform 7 coffee」も素晴らしかった。ポートランドでは、「スタンプタウン」にいたバリスタが、親身にコーヒーについて話してくれた。ローカルな雰囲気の中で丁寧に抽出し、エスプレッソについて熱弁してくれた「Extracto co ffee roasters」、広々とした店内は倉庫を改築したような佇まいの「coava coffee roasters」も印象に残っている。シアトルでは「スターバックスリザーブ」へ行った。その設備に驚かされたが、そこで働くバリスタを眺めていてとても楽しんでいるのだと感心した。コーヒーを楽しんでいる姿を見ると、こちらまでウズウズしてしまう。
コーヒーはもっと楽しいものだ。知らぬ間に仕事として生真面目に力が入ってしまったのかも知れない。何の仕事をしていてもそうだが、その仕事の中で自分というものを発揮できないのであれば寂しい限りだ。自ら選択した職業であれば尚更である。コーヒーの影にもエンターティナーが隠れている。その主役の座を奪われてしまわないように、エンターテイメントを創り上げなければと考えた。これからはもっと様々な視点からコーヒーに携わろうと思う。コーヒーを通したセミナー作りにも注力したいと強く思った。そのような当たり前に感じるところを真正面から突き付けられた視察になった。
仕事をしていく内に自信も出てくるが、どうしても特別なことやモノを追いかけてしまいがちである。それはいけないということではなく、その仕事での「基本」が大切ということであると思う。コーヒーの基本は香りと味だけではない。そこには必ず人が関わるということを忘れてはいけない。