美醜入り混じるコーヒー豆の生産地
2011年よりコーヒー豆の生産地へ足を伸ばしている。自慢できるほどたくさん行っている訳ではないが私にとってとても大きな学びの期間になっている。昨年は生産地ではなくカナダ・アメリカの消費国へと足を伸ばし様々なカフェや工場を視察してきた。
主に生産地では農園や精製工場、輸出業者などコーヒーの生の現場がそこにはある。日本では感じ得ない香りや味、音があった。コーヒーは植物であり現地では大切に育てられている場所もあれば、家の脇に植えられている小さな家庭菜園のようなものまである。各生産地ではまだまだ知らない世界がたくさんあるのだと学ばされた。こちらの都合で綺麗な世界ばかりを創り上げてはならないのだと痛感したこともある。あの魅惑的な香りや、透き通った端正な酸だけがコーヒーではないのだと、今思えば自分の中に眠るコーヒーの世界が芽吹いたのだろう。
Dilemma
一概には言えないがコーヒーの消費国はどこか写真的だ。それは美しいところをフレーム内に収めているところで、反対に生産国ではその美しさの周りにも環境が生きているのだ。仕事だからこそ、美しさを抽出して拾い上げるのは当然のことだが、フレームの外側を見てしまった私にはそこも何とかしたい衝動がある。写真で言えば広角レンズで捉えたら良いだろうとなるだろうが、それは確かにそうだが美しさは小さく写ってしまう。しかしこれは理屈で説明するのではなく、自分の本質的なところと向き合う時間になっている。コーヒーは消費国では人との関係性を強く感じていて生産地では環境と強い結び付きがある。世界観の違いがあるのだ。その両国とも人がコーヒーに関わっていてコーヒーを違う視点で捉えて生きているのに新鮮だった。現地では当たり前のことにカップの中身だけを見ていたらなかなか気が付けなかったことだ。生産地へ自分たちが作ったコーヒーを持っていくと喜ばれるのがよく分かった。農家さんも自分の作り上げた作物をどのように調理し仕上げたのかを知ることはとても有用なフィードバックを得られるのだろう。
ジレンマによって自分のコーヒーが変化していく。磨くべき技術を見つけられた時もあり、アップデートしていけるようになった。現地でのカップは鮮烈さを残し記憶に刻まれている。ここ秋田でもその生きている記憶に錆を付けたくない一心でコーヒーと奮闘する毎日だ。思い上がりを抑え謙虚になるべきところを精査していきたい。まだまだうまく伝えられないのが悔しいが、そういう想いがあり生産地でのことをまとめてみた。秋田から遠い生産地へ行き見たまま感じたままをつらつらと書き残したラフのようなもの。これらは自分の中の備忘録としてこれからも書き足していく。下記画像リンク先にあるコーヒーを楽しんでもらえたら幸いだ。
それでは素晴らしいコーヒーライフを!