日本で最も美しい村 季刊誌取材 小値賀町 最終回

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野崎島へ

小値賀島から東へ約2キロほど離れたところに野崎島はある。
小さな船で約30分ほどだ。

この日の天候は晴れ、風はやはり治るまでにはならなかった。
船に乗り込むと波しぶきでびしょ濡れになるので中に入ってと言われ渋々と船内に入る。

風と波のうねりが強く思っていたより揺れ始めた。

島と当麻の間の潮の流れが複雑のようで海面が穏やかな場所と流れが激しい箇所が点在しているように見える。
途中大波をやり過ごす為か一旦スピードを落とした。

次第に激しく揺れ始めた。
船はジャンプするように上下に大きく揺れて立っているのが困難になる程揺れた。その時のカットがこれだ。揺れた瞬間にシャッターを切ったらこの通り天を仰いでいる。空と波飛沫しかない。

野崎島到着。
まるで異国へ来た感じがする。

かつて野崎島には、650人ほどの人が住んでいたが今は無人島となっている。
そして野崎島には、野崎集落の人々が信仰した「神道」と、野首集落、舟森集落の人々が信仰した「キリスト教」と2つの深い信仰があったとのこと。

また、平成19年(2007)には、野首・舟森集落跡とそれを結ぶ里道を加えた「野崎島の野首・舟森集落跡」が、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」としてユネスコの世界遺産暫定リストに追加されており、間も無く世界遺産登録されるようである。

ハイオクのある小道を抜けて行くとサバンナとも呼ばれている景色に出会う。
鹿が数頭群れを連れて草を食んでいた。
風の影響をもろに受けるために木々の枝の伸び方が自然を模倣していた。

坂道を登り段々畑を横目にしながら見えて来たのは美しい色を蓄えた野首海岸。

漂流物がない白い浜を歩く。

小高い丘の上に建つのは旧野首教会だ。
以下引用

野崎島に建つ旧野首教会は、野崎島のちょうど中心にあたる、小高い丘の上に残るレンガ建築の小さな教会です。教会が建つ「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだと言われる集落で、野崎島にかつてあった3つの集落のうち、舟森集落と共に信仰が深かった地域とされています。旧野首教会は、集落に住む17世帯の信者たちが貧しい暮らしを続け、力を合わせて費用を捻出し、数年をかけて建てた本格的なレンガづくりの教会です。

禁教の時代に厳しい弾圧を受けながらも信仰を守り抜き、長年の苦難を耐え抜き信仰の自由を手に入れた人々の、抑圧からの解放と喜びという崇高な精神性の象徴といえるでしょう。

教会内の写真は基本的に撮影禁止になっており、撮影はしたのだがそれは季刊誌で見て欲しいのでここでは割愛させて頂く。

目の前は海の水ではなく、野崎島から下記出ている真水のダムになっている。
それを海底にパイプを通して小値賀島へつなげている。小値賀島を支えている農業用水とのこと。

来た道をゆっくりと戻る。
見たもの聞いたもの、目に焼き付け、匂いを記憶して行くように歩いた。

人の思いと行動は、時として大きな財産を残すものだ。
富や名誉ではなく、信仰を胸に埋め込んでいる姿を想像していた。
そりゃ富や名誉だって喉から手が出るほど欲する時だってあるに違いないが、信じられるものがあるだけで強くなれるのも人間の能力だと思う。

様々な自問自答が生まれては消えていった。
解答は求めなかった。

それは今の日常で何となしに感じている言葉に出てこない違和感を「言葉」にできるチャンスではないかという感覚だった。

自分との対話も実は面白いのかも知れない。

帰りの船はチャーターした漁船だった。
船の舳先へ座り風を真正面に受けながら小値賀島へ戻る。途中、キリシタンの墓標である十字架が見え一礼した。風は冷たく強いが日差しは暖かだ。

小値賀町へ戻り昼食は前日食べて美味しかったちゃんぽんと皿うどんをシェアした。

定刻通りフェリーに乗船した。
伯方港までの約5時間ほど、半分はぐっすりと眠った。
揺れは来る時ほどではなく穏やかだが、やはり玄界灘付近は揺れたな。

また来ようと思う。

コーヒー豆の買い付けで海外へ行き、コーヒー豆の消費国と生産国で多くのバリスタと出会いコーヒーの世界観はまだまだ広がっていく。人の魅力はどこからやってくるのか、撮影の折にいつも思う。美しさとは何なのか、近年のテーマとなっている。旅はこれからだ。

caffe gita yuzawa / caffe gita yokote オーナー
株式会社 gita 代表取締役

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