とにかく不便を感じる違和感
ギリギリで新幹線に飛び乗り座席に座り一仕事しようとしたら携帯がうまく繋がらない。アレもコレも移動中に済ませようと車の運転中に段取りを考えていたのに。
どうやら携帯のキャリアで通信障害があったようだ。インターネットに繋がらないだけで作業が完結しないのだ。終われないのだ。
行き先も調べられないし、ホテル予約もできない。
予め断っておくが、私はホテルの予約は前もってしない。偉そうに書いても仕方がないが、たくさん出張している内にそうなってしまった。もちろん前もってすることだってあるが、最近は当日予約が多くなった。
なぜか?と聞かれても困る。
ましてや、なぜ猫の写真なのか?と聞くのはもってのほかだ。
それにしても携帯電話やインターネットにも依存していたものだと身をもって感じた1日だった。便利な世の中になり、それがいつの間にか日常的になってしまった。ネットに繋がりにくいだけで機嫌さえ悪くなる人もいる。
何でもその場ですぐに知りたいことが入手することが可能になったらあまり考えなくなってしまうのだろうか?自分で出した答えに自信を持てなくなる可能性もあるだろう。それは怖いことだな。彷徨いながら進むこと、目的を持っても間違いは起こるし、時には道草を食いなどして時間が奪われていく。生産性は悪い。けれども、と言いたい。
便利さと引き換えに何かを差し出してしまった感がある。その「何か」は人によって色々だと思うが、不便の中の良質な経験値は積み上がらないのかも知れない。
そう思い携帯電話はポケットの中にしまった。
しかしどうだろう。
感を頼りに行き先を目指して歩いていたらポケットの中で携帯電話がブルブルと鳴った。繋がった!と嬉々とした自分をどうすべきか一瞬悩んだ。
半日の間、しばらくぶりに便利さの中の生産性から解放されて色々と考えられたのは良かった。
何はともあれ復旧してよかった。