消えるものと残るもの
寒くなって雨音がぽつぽつと聞こえてきた。
もう半袖だけでは寒い気温になってきて、里山にも秋が迫って木々の葉も少し紅葉してきている。何かと忙しなく動いていると、ふとした時に目に止まるものは色艶やかだが、思い出すのはそれと裏腹に苦い思い出だったりする。
子どもの頃に外で遊ぼうとして雨が降ってきたので神社の屋根下で隠れるように遊んでいた時のこと。
神社の階段の脇に蓋に重石が置かれた感を見付けた。その蓋を外すと薬品臭のするドロドロの黒い液体が光って見えた。適当な長さの棒を見付けてかき混ぜると粘度の高い感触に好奇心を一層煽られた。ネバネバしてベタベタする黒い液体の正体がわからぬまま、棒切れの先から糸が垂れるように途切れず地面に滴った。子供心に真っ黒い蜂蜜のようなものだと喜んであちこちに擦り付けて遊んだ。
数日後、父親に呼ばれて叱られたのは言うまでもなく「あれはずっと消えないよ」と言われたことを今でもよく憶えている。
そして黒い蜂蜜の正体は「コールタール」と言うことも知った。
いつの間にかコールタールは無くなったのに今でもその跡は消えずに残っている。世の中には消したくても「消えないもの」が割とあるものだ。無理矢理に消したとしても、それは本人がそう思うだけで消えることはなく、単に忘れているだけか見ないふりをしているに過ぎない。そう言う意味で「忘れる」ことは便利だ。痛みは消えても傷は消えないのと似ているのかも知れない。
小雨の降る森の中は静かだった。
たまに近くでカケスが大きな声で鳴くのを聴き晩秋の気配を感じさせる。今年はドングリやブナの実がたくさん落ちている。ブナの実が豊作だと熊の食料も安定し、農作物への被害が少ないと聞くことがある。そうであって欲しいのだが。