9月が過ぎる。
そう思って慌てて書き始めるくらいならと、これでも少しは反省している。
自分で決めて動くのだけど、その通りにならなさ過ぎてしまうと「やれない理由」や「やらない理由」たちが声を上げてくるもので、これにはあっさりと包み込まれてしまうのだ。
困ったもんだ。
近頃はめっきりと涼しくなってきて半袖だけでは朝晩は肌寒くなった。
8月から9月前半はあれほど暑かったのにと、布団にくるまるのも心地よい時期だったりする。桜の木の葉は黄色や赤っぽくなってカラカラと地面に集まっている。蝉は鳴かなくなり、夜には蟋蟀などが威勢が良い。夏から秋へと移るときは、やっぱりどこか寂しくなってしまうのは子どもの頃から変わっていなくて、これはこのままずっと続いていくものなのかも知れないなと気持ちは少し重くのしっかった。できれば季節ごとに喜びが広がっていけたら尚良いが、心情は単純なものと、複雑なものとが絡みついて異物感を残しているもの。たいていは秋の味覚でごまかしているうちに雪が降って来るのが毎年のことだ。
コーヒーの大部分は香りや味わいに留まらず、その作り手の片鱗を感じていたい。
オリジナリティが上手に注がれたならば隅々が満たされていくのを感じる。美味しさだけでは満たされないことがあると、それはずいぶん前から不思議に思っていたことだ。解決方法はないが、自分で感じることを大切にしている。それは間違った解釈だってしてしまう時もあるが、その積み重ねは自分自身にはとても大切な要素になる。それだから目標は穴が開くくらい観察している。主観と客観性のバランス感覚は磨いていきたいと感じた。
それではまた。