屋根に雨音が響いている。しかし…

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新型コロナウィルスは自分の首まで絞めさせるのか

春先の景色にしては雪解けが早い。
近くの側溝に流れる水の勢いは割と穏やかで緑が広がり始めた。賑やかだったフキノトウやフクジュソウは茎が伸びてしまい日に日に存在感を潜めてしまったが、小鳥は周囲の木々を飛び廻り喧しいほどよく喋っている。
暖冬だった他は例年通りの春先だ。

しかし、どこもかしこも新型コロナウィルスとその影響が忍び寄り包囲されている気分だ。例え逃げたところで、その先にも待ち構えているだろうな。ちょっと気を休めた隙をついてくるし、僅かに目や鼻を擦ったかもままならない。神経を逆撫で尖らせしながら情報収集して今以上にならぬ様に、集団感染や感染速度を抑える為にも、行動していかなければならないと自分に言い聞かせている毎日。
個人の消耗、損失は計り知れない。

不要不急と自粛と要請は…
飲食店のみならず多くは板挟みで泣く暇があれば資金調達でもしろという状態である。
つまりは平常は失ってしまったのだ。
自粛は言われなくてもしているところはあると思うが、要請を出すのであれば何らかの保証を付与すべきと思うのは身勝手な考えか、甘えだろうか。社内で感染者が出てからの休業保証では遅いのではないか、それまでが自粛なのだろうか。自粛はこちらでしたことであって、もし勝手にしたのだろうと一蹴されたら、それだけのことで仕舞われる。そうならないようよく考えて各方面からの融資や保証を上手く利用するしかない。
しかし嘆いている場合ではない。

医療体制は何としてでも守らなければならない。
助かるはずのものが助からず、看取ることも許されず幕を閉じてしまうという現状がすぐそこまで来ている。
多くはまだまだ他人事の様に思えてならないのかも知れない。

そうではない、急を要する。
色々と知っているのだけど、あまりに平和な世の中だったから実感しにくくなっているところもあるだろう。
「今大丈夫」なだけである。
身近にその様なことが起こってからでは遅いのだ。

医療関係者の声の張り方、警鐘の具合、とても大切にしなければならない。
生命を、その先の未来が見えるからこそ、非常時には非常手段を取れるからこその人たちの声だと思って私は受け止めている。諸外国での医療従事者の方達の先の見えない闘いを、不安を、この小さな地域単位で乗り越えなくてはならないことを想像して欲しい。
その時の後悔はあまりにも重た過ぎる。

収束が長引けば長引くほど地域から色とりどりものが失われてしまう可能性が高くある。
また大切な人たちも失いかねない。
生きていられたら取り戻せるものだってあり、守るべきものは命であると行動する。今は見返りを求めずに自分で辛抱することで、どこかの誰かを助けるということを考えなければならない状況だ。

飲食店を持つ身として自分の首を自分で閉める他ないことも在るのだと知った。
魅力的な商品で呼び込むことも、より良いサービスも、新しいメニューも、集まるからこそ楽しい空間も、人を受け入れようとする行動が今となっては感染拡大に加担していることになる。
とてもとても飲み込めるほど小さなものではない。

都会に比べて感染者が1桁であっても脅威には変わらない。
感染者数の問題ではないと思うのだが、そうではないのだろうか?
そうでなければ新学期を迎える教育の立場からも碩学である人たちであればきちんと安心安全を説いて欲しい。
自粛ムードの中、心配せず仕事をどう敢行したら良いのか教えて欲しい。曖昧にしていると地域は萎んでしまう。
都会に比べて感染の波にもタイムラグがあるだろうし、不況の波も然り。
時節柄、新しく動き始めている状況の中、感染を遅らせて医療体制を圧迫しない為にも、1人でも多くの人たちが強く意識を持ち行動することが望ましい。
各個人のモラルやデリカシーを問われる状況になっている。

飲食店がこの様なことを考え、言葉にした時、私も書きながら矛盾を抱えている。
自分の中で、自分の首を自ら絞めるようなことが起きている。
ただ今後、地域に感染者が増加傾向になれば否応なしにストップせざるを得なくなる。
店舗での安心安全が計れないとなった場合は皆様には多くのご不便を掛けてしまうと思う。
その時はどうかご容赦ください。

みんなのことを考えてなどという綺麗なことでは到底無い。
大袈裟だとか、危険を煽っていると叩かれたとしても、笑われたとしても、このまま収束してくれるのであればそれでいい。
コーヒーの生産地でも例外なく新型コロナウィルスの蔓延と闘っている。
生産国と消費国とて同じ状況だ。都会に比べて感染者が少ないからまだいいと思う事の方が怖い。

憂いても嘆いても、そればかりになる。
愚痴にも似た自分の気持ちを書いただけになってしまったが、1つの警鐘として残しておこうと思う。


馬鹿話をしながらコーヒーを飲んだり、豆を買ってくれたり、今は少し辛抱しないとならなくなった。
随分前に夜カフェで盛り上がった、そういうコミュニケーションがオンラインでできるといいね。

それではまた。

コーヒー豆の買い付けで海外へ行き、コーヒー豆の消費国と生産国で多くのバリスタと出会いコーヒーの世界観はまだまだ広がっていく。人の魅力はどこからやってくるのか、撮影の折にいつも思う。美しさとは何なのか、近年のテーマとなっている。旅はこれからだ。

caffe gita yuzawa / caffe gita yokote オーナー
株式会社 gita 代表取締役

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