日本三大秘境の椎葉村へ
11月中旬に宮崎県東臼杵郡椎葉村を訪れた。
椎葉村は平家落人伝説を伝えること、また日本三大秘境の一つとして数えられているから、その険しさには納得のいくところであった。九州山地のほぼ中央にある椎葉村へ向かうルートは幾らかあるのだが今回は熊本から向かうことになり、いつも通り取材前日に熊本へ飛んだ。
熊本は雨だった。
市内行きのバス時刻まで少し余裕があったので空港内を歩いていると売店の方に辛子蓮根のお土産はどうかと2度薦めらたが、つい先程着いたばかりだし、それはこの日の夕食に探しに行くことにする。辛子蓮根は子供の頃に一口で悶絶した小さな思い出がある。大人になり再チャレンジしてみると不思議と美味しく平らげてしまった。大人になると美味しくなるものってピーマンだけじゃないのだと感心した。
バスに乗り込みしばらく進むと渋滞に止まる。
雨は大粒になり窓ガラスは水滴がだらしなく流れてきて街をゆらゆらと波打たせた。さらに雨足が強くなると車内は雨音に塗れて静かになった。強い雨音は窓を境に孤立させる。ある日の夕立の時に一人で留守番をしてた時に似ていて心細い面持ちになっていたと思う。あの頃は何にでも敏感に反応していたし、どんなことにでも好奇心が向いた。雷は怖いけれど見たかったし、辛いのは嫌だけどどんな味がするのか知りたかったのだ。怖いもの見たさは、どんどんいたずらへと発展して、いたずらしては怒られるの繰り返しになった。ただそれらの攻防戦は、良き経験になり、良き学びになっているのだ。いたずらはしっかりと怒られなければならないものだ。現代では子供のいたずらが少なくなったように感じる。怒られないように、危険にさらさないようには双方の気持ちも察することはできるが、良い子過ぎて目に映るのだ。見つからないいたずらはいつしか犯罪になりかねない。
何の話だったか…
ホテルに着く頃にはすっかりと暗くなっていた。
部屋に入ってすぐに雨で濡れたリュックをタオルで拭き、そのままベッドへ寝そべり天井を眺めて手持ち無沙汰でいると、聞き慣れた羽音がして虫が飛んできた。リュックの隙間に忍び込んでいたカメムシだった。春まで眠りこけていようとしていたに違いないが、熊本は少々暖かだったからつい目を覚ましたのだろう。夕食は何にしようかと思うものの、このカメムシが気になって仕方がない。ここまで来ても出てくるのかと腹立たしくなり窓を開けてパチンと外へ弾こうとしたところ、急に不憫に思いリュックの中にあった小さな容器の中にしまった。目を覚ましたら別世界であり、一匹で生きていくには孤独だろう。容器から這い出して来なければただの虫だ。可愛いもんよ。人は許せる生き物なのだ。
夕食は熊本ラーメンに決めた。
せっかくだから久しぶりに食べたいと思い一度行ったことのあるお店にする。調べるとホテルからの道順は歩いても30分はかからない距離だが、こうも雨が強いので路面電車を使い3駅先で降り、そこから徒歩3分ほどだった。幸いホテル近くに乗車駅があり雨の中小走りにホームへ向かう。ホームには傘をさして立つ女性が2名がいた。電車が来るまで5分ほど、少しでも雨に濡れないようにと小走りしたのは何のためだったか、そして、雨に打たれる男への視線が2つ、さらに、リュックのサイドポケットに折り畳み傘を忍ばしていたことを思い出した。あの折り畳み傘はアメリカへ行くときに羽田空港で買い仕舞っていたものだ。一度も開いたことはない。今こそという時にリュックから飛び出したのはカメムシだ。無情の雨。
3駅目で降りてからはラーメン屋まで走る。
途中閉店後の店先で雨宿りしていると、少し先にラーメン屋の暖簾が見えている。息を整え暖簾をくぐった。カウンターへ座りメニューとお冷を差し出されラーメンを注文した。すぐに店員さんがティッシュ箱を持ってきてそっと置いた。カウンターテーブルを見ると、雨で濡れた髪から水が滴っていた。それに気がつくと今度は首筋から背中へも水はポタポタと滑り落ちていくのを感じる。走ってきたから寒くはない。それはもうシャワーを浴びたようにびしょ濡れなわけだ。
間も無くラーメンが運ばれてくると普段から食べているものとは違う馴染みのない豚骨の匂いがなだれ込んできた。久しぶりの熊本ラーメンに心が弾む。以前に食べた時は初めは慣れない匂いに躊躇しそうになったがそれほどキツくなく、二口も含めば全く気にならない。重たさはなく素朴さと滋味に溢れている。しみじみと味わいながら色々な味を探してしまうのは職業柄であり、味をどんどん分解していくのは面白い。熊本についてからまだ数時間しか経っていないが、ラーメンを食るまでには色々なことがあったように感じた。無心で食すよりは、様々な景色を思い浮かべて食べたせいもあって感慨深い。あっという間に平らげてしまい背中の汗と雨が冷えてしまわない内に戻ろうと会計を済ませ、ティッシュ箱の店員さんに感謝して店を出た。
外に出ると雨は上がっていた。
あれだけ降っていたのにカラッと晴れている。雲間から星がチラチラと光っていたから駅へは戻らず川沿いの道を歩くことにした。川向かいの店から大笑いが響いてくる、左手のスナックから気持ち良さそうな歌声が漏れている。ふと足が止まる。
忘れていた、辛子蓮根だ。
空港の売店でのことを思い出し、熊本といったら辛子蓮根と決めてかかっている。少し歩くと店先に出ていた手書きの看板には「揚げたて辛子蓮根」とある。辛子蓮根初心者なので恥ずかしながらあれは揚げ物だったのかと胸を衝かれた。店内はほぼ満席の様子でカウンターの端に案内される。早速辛子蓮根と馬刺し、焼酎を頼んで待つ。
左隣には出張で来た感じのサラリーマンが馬刺し5種の盛り合わせと辛子蓮根を携帯から目を離さずに食べている。さらにその隣には旅行で来た感じの方が地図を広げて焼酎を味わっている。私は辛子蓮根が揚げ物なのかという驚きと疑問、そして何より一人で居酒屋に来たのが初めてだったということに気が付いて手持ち無沙汰にお通しにも手を付けずそわそわしていた。
焼酎がやってきたのでお通しとやってみたがこれで大人の世界に入れた気がする。背後で店員さんが忙しくお客から注文をとったり運んだりしている頃に馬刺しがやってきた。九州地方のどろっと甘めの刺身醤油と生姜で食べるとこれもよく合う。ニンニクも美味しそうだが明日から取材なので遠慮しておく。きめ細やかで柔らかくて端正な旨味がある。感心している目の前に辛子蓮根が舞い降りてきた。今まで食べてきた辛子蓮根と何が違うのだろうか。確かに揚げたてであった。外側の黄色い衣はカリッとしていて蓮根はホクホクとしている。お土産品は揚げていても包装している最中に衣に水分が回っていたのだな。しっとりサクサクの食感だと思うばかり、これは本当に美味しかった。ただ辛子の鼻にに抜ける威力は一番だった。一口食べてはスースーと鼻から辛みを出してやり焼酎でさっぱりするのである。冷めてしまっては勿体無いと素早く完食してしまうが思いがけず大満足を果たした。
店を出た後はホテルまで歩いた。
街に覆い被さるような雨雲は流れていったようで明日は良い天気になりそうだ。部屋に戻ったら着替えようと思っていたシャツはすっかり乾いていた。
目が覚めてすぐに天気がどうかと気になりカーテンの端のを足の指で捲ると尖った光が目に刺さる。雨は降っていなかった。窓の外を眺めると路面電車がガタゴトと音を立てて這って行く。見慣れない景色で旅情に浸っている場合ではなく、空港行きのバスへ乗らなければならない。すぐさま準備をしてホテルをチェックアウトする。ホテルのフロントの方に聞いたところ空港行きのバス停は少し離れたところにあるらしく、歩いても5分程度とのこと、歩き始めると小さな路地がを見つけ、こちらの方が近いかなと猫ののようにするすると入り込んでいくが少し違うらしい。いつの間にか小走りになってようやくバス停を見つけたところでバスがやってきた。
市内を抜けるまでに渋滞はあったが、小一時間ほどで空港に着いた。待ち合わせ時間までは2時間弱あり、どこかで朝食を取りたかったが、まだどこも開店準備中であった。天気が良いので外へ出て歩いてみるが、これといってすることは何もない。バスの排気ガスの匂いとスーツケースを引く音が入り口に響いているくらいだ。秋田ではもう晩秋を過ぎ冬も目の前というのにここでは花が咲いている。南米などへいっ時には、どこへ行っても色とりどりの花が咲いていて、木にはフルーツが実っていた。真冬の雪国から赤道直下へ行くとこうも楽園に見えるのかとウロウロして迷子になりかけたことがあった。編集長が乗る飛行機は10分ほど遅れて到着し無事に合流した。レンタカーを借りて車に乗り込んだ。今回は取材時間が短く現地ではタイトスケジュールになっているから昼食はコンビニで買っておいたものを車中で済ませる。
2時間ほど走り椎葉村内に入ると水量豊かな川が見えてきた。迫り上がる斜面は見頃までとはいかない赤や黄色くなった広葉樹の葉が揺れている。うねうねの細い道を駆け抜けると視界が開いたように深い山間に囲まれて椎葉村が見えた。椎葉村役場に着き、挨拶をしてから取材が始まる。テンポよくタイトに取材は進み、私はいつものようにインタビュー最中に抜け出して村内を歩き回ることにした。
秋晴れだ。気の向くままに歩いていると青空を川に流したような川に突き当たる。しゃらしゃらと流れる音が聞こえる。そのまま川沿いを歩き町並みを観察していく。誰かの話し声や料理の匂いがする。こんな山奥に生活の声が生き生きと響いているのが不思議に思ってしまう。椎葉村の最初の印象だった。
田舎暮らしには覚悟が要る。
それなりの田舎に住んできたから、覚悟が要るという考え方はスマート過ぎるかも知れないが、今までとこれからの違いに対してのことを受容するということだ。これは簡単なようで難しく、知っていたようで知らず、言うは易く行うは難しといったところだ。そして自然の恵みを享受することがどういったことなのかを、今一度考えてしまう。恩恵と対極にある厳しさの中で暮らすということが受容することになるのだろう。椎葉村ではそんなことを考えていた。それはあまりにも自然が大きく美しかったからかも知れない。北海道のようなそれとはまた違う積み上げられた自然との共生関係が印象に残っている。どんなに美しい自然の中であっても、現代は生きていけない不自由さがある。便利になり過ぎた感があるものだから余計にそう感じてしまった。大きな樹木の上のツリーハウスに登った時、得も言われぬ感触があった。どういうことか最初にここで暮らし始めた人たちのことを想像して苦しくなる感覚と安堵な心持ちを同時に感じていた。
山に落ち延び、ここで暮らすと決めた時に、何もかも捨てて命を繋いできたのだろうか。その先の未来にこんなにも安寧な暮らしがあることを想像できただろうか、果てしなく妄想が駆け巡り始めていた。
椎葉村へ移り住む人たちもいて、どのような暮らしをしているのか興味が湧いてくる。長く住む人の言葉はやはりどこか穏やかであって安心感がある。時間経過と共に言葉にも自信が宿るのかも知れない。そのような言葉を聞いていると、いかに厳しい環境下でも常に戦う前傾姿勢ではなく、時には委ねることのできる余裕を感じる。生きていくための仕事と、自分でいるための計画が備わっているのだ。田舎暮らしでは受け身であっては難しくなるのかも知れない。自分を動かす司令塔になれたら良いのかな。便利も不便もない世界ではないのだから、住めば都と言うことをまざまざと見られた良い機会となった。どこに在っても人の暮らしは一言では言い表せないほどの時間がかかっているのだ。そこには美しく価値が佇んでいる。その価値とは何かと問われると答えは一つではないような気がする。お金では買えないものがあるように、もしくは自分が引きずっている影のようにいつも隣にあるものかも知れない。
辺境には若者が少なく、空き家も増えている。人が居なくなれば無くなるものは少なくない。目先は人口減少問題もあるが、それは受け入れるほかないことに近い。関係人口増加も様々に施策されているようだ。地域は落ち延びるのとは異なりその場にあるからこそだ。生きていく力とは何か。問いを繰り返し思考を巡らす。椎葉村が好きだという言葉が耳に残っている。その「好き」は可能性を秘め何かが開花すると広がっていくことだろう。地域への愛着と、その循環がなされたら何よりだ。
地域は生命体だ。
息を吸い込み、何かを食べて血が巡っているのだ。
何を捨て、何を繋ぐのか。研ぎ澄まされた美しさは強い。