枯れて色濃く
きれいに咲いているのも好きだが枯れていく様も悪くない。
瑞々しい色が退色していってカラカラに乾くと、それまでにない存在感が出てくるドライフラワーに惹かれる。生物にとって水は生命線なのに体内の代謝というのか循環と言えばいいのか、それが止まると水が悪さをしてしまうのは皮肉なことだ。水は動いていないと生きていけないのだろう。
乾いた色の濃さや香りや形が、それまでの表情を全て露わにしているようで美しいのだ。美しさはどちらにも平等にあって、醜さの対比としてあるよりも決して排他的な形容ではないのだと思う。どこにどんな状態にあっても美しさと醜さは纏ったものでありそれを拾い上げる側の視点で拾われることのように思う。
水の流れる清らかな綺麗さ、止まってしまい腐敗する様、どちらもある者にとっては美しき世界があるのだと思う。もう、話がどこへ行くのか分からないのでここら辺でしめておこう。ただ、紫陽花の枯れた色が夕刻の光にぼんやり光って見えるので気になったに過ぎない。頭に浮かんだキーワードが、枯れる、色、水、腐敗、綺麗さ、感受性豊かな季節になった。