食べ尽くすのではなく、食べ歩きをするということ
11月になった。
朝晩の冷え込みが増してきた。そろそろ薄氷が張るのかどうなのか、里では紅葉も見頃になった。
午後15時過ぎれば陽が低く差し込み影が伸びている。
夜になると満点の星空に白鳥の声が響いている。冬支度の季節だ。
それはそうと「渡り鳥」は「渡り」よってエネルギーの消耗を節約しているとある記事で読んだ。
要するに「食べものを得るのに必要なエネルギーと、食べものから得られるエネルギーのバランスを効率よくするため」ということらしい。
それは同じ地域にいることで他種間との食物の取り合いを避けることで、寒冷な地域へ渡り、その競い合いから逃れるというのだ。
これはコンピューターでシミュレートした予測であるようだが、なるほど自然界は生存するベクトルが成り立っているのだ。皆で取り合う競争を避けることは翌年の飛来のためになっている。皆で仲良く分け合って食べているというよりは、争いごとを避けているのか、食べ物の豊富な場所へ行くだけのことなのか、何れにせよ生存本能が身についているものだと感心してしまう。
人の世界はどうだ。
押し合いへし合い、騙し騙され…
それだけの辛辣な世界ではないが、これに習ってみるのもいいかも知れない。
人口の少ない地域には、そこに見合った世界があり「活気」が沸いていたに違いない。そこで育まれた多くの人たちもいたはず。過去に見る景色は今はほとんど見えないのだろう。
地域の身の丈にあった発展というと消極的かまたは否定的に聞こえるかも知れないが、妙なバランスの崩れ方は大切な何かを追いやってしまう可能性がある。
渡り鳥のようにはいかないのだ。