スペシャルティコーヒーの楽しさ
日本を飛び出して外国へ行く。
それは遊びでも仕事でも知らないこと知る近道だ。知れば知るほどに、行けば行くほどに世界は広くなっていくから不思議だ。私にとってはコーヒーも一緒だ。今となっては様々な生産地を訪れ、その国々で出会うコーヒーや人々、景色や食べ物、文化などに触れてきた。長い間滞在こそしていないが、自分にとって新しい風に吹かれて空気を吸い込んで大きくなったつもりでいても、解らない事が増えてきている感じる気持ちが大きくなっている。皮肉なことに知るために出かけた先で「コーヒが解らない」が増えて「コーヒーは面白い」になっているのだ。
毎日コーヒー豆を焙煎し、コーヒーを淹れて味見をし、袋に詰めたりお客様に提供したりしながら思うことは少なくない。それは香りと味わいは品質管理であってそこが醍醐味にはしていないこと、コーヒーのストーリーは他にあって、そこをどうにかして届けたいという思い、もっと美味しく作れないかなと思うこと、届いたコーヒーを飲まれていい顔をしているお客様の妄想など全く尽きない。さて、先に書いた醍醐味にしていないと言うと誤解を招く恐れがあるので書き足すが、香りと味わいは私が全てを作れないからである。私とコーヒー豆の間には数千キロの距離があり彼の地で作られたものである。私にとっては焙煎は「再現性」なのだ。この作業はもちろん面白いのは言うまでもないがとっても自己陶酔に陥りやすい。
私にとって「再現性」と「美味しさを作る」はまた違う楽しみであり方向性も異なる。一人では美味しさは作れない。売り物を作るって難しいなといつも頭を抱える。考えては試してを、ひらめいては周囲を巻き込む、作っては溜息を漏らしたり、それらを繰り返す毎日が多い。現地でも同じように生育や精製に関して試行錯誤を繰り返していることもあると思う。しいて言うならカップなのかのコーヒーは合作だと考えたいのである。日本に届くまでの間コーヒー豆は多くの人の手に触れてくる。中には機械選別や手選別を掻い潜り見るも綺麗な生豆であるのに、どういうわけかポロっとこぼれ落ちて捨てられてしまうものだってある。無事にお客様のいいお顔を見れるコーヒー豆のことを考えると一生懸命に仕事といて迎えたいのである。コーヒーの仕事を選んだ自分には、時には自分のエゴを振り払ったり、または一歩踏み込んだりのモノづくりの現場だ。コーヒー豆の気持ちとお客様の気持ちに板挟みされた緊張感は自分の物語を生み出してくれる。コーヒーは本当に面白いものだ。
最近はコーヒーに何を教わったかなと考えることがある。
触れてみて初めて面白さが伝わる瞬間がある。人の温もりは血液の温度だけではなく心のこもった言葉や行動でも感じることがあるように、コーヒー豆も同じように接することで目に見えない表情を模索していける気がする。どこに触れるか、物言わぬモノだけにこちらの接し方で感触は大きく変化していく。そこで得た感触は美味しく飲んでもらえるコーヒー作りに役立つと思っている。