Connecting The Dots SHIBUYA
先日に東京渋谷にて秋田へ移住についてのイベントがありメンターとして参加してきた。話す時間は5分程度と言われていたのが20分近く話してしまい反省している。
私に課せられたタイトルは『Uターンや移住の葛藤と秋田の暮らし方』だ。北海道から秋田へ戻ってきた時の感覚や、コーヒー豆の買い付けで諸外国を巡っての外から見た秋田、そして「日本で最も美しい村」連合 季刊誌の取材で訪れた様々な街でのこと、移住するということに関して私見を述べてきた。
移住には様々なスタイルがあると思うので自分の性格に合ったスタイルが見つかると良い。乱暴な言い回しだが、自分がこれから飛び込む環境を知ること、現状の自分を知り、新しく自分を創ることで少し先が見えてくるように思う。私の場合は、安易に起業し、地元だから安心してUターンしてきた。これが間違いとまでは言わないが違っていた。
自分創り
先ず地元を離れて暮らしている内に、知らず知らずに自分は変化していたこと、同様に地元の人たちも変化していたということを起業してから気が付いた。地元だからと安心していたことが当たり前に無かったことにショックを受け、いかに自分都合で生きてきたかを思い知らされる。当たり前のことに打ちひしがれる日々が続くのは結構しんどい思いをする。よくよく考えてみると、言われて当然のことや、周囲から偏見の視線、今でもある違和感など一人の生活の側面には一つの環境がある。しかしネガティヴなことだけではなく、良質な環境も備わっていることに気付く。私の場合には、安易な起業のもとお客さんが一人もいなくて時間だけはたっぷりあった。まずはパソコンを覚え、そしてイラストレーターやフォトショップなどに奔走させられ、フライヤー作りに没頭した。ブログではここに来たくなるような写真が撮れたら集客できるのかと思いたくさんの写真集や本を読み漁った。
周囲の反対を押し切り起業して、人付き合いも少なくなり孤独感を心底味わった。お客さんが欲するものに目を向けられず自我と戦っていた。商売とは何かすら分からなかったのだ。そんな偏った時間を過ごしているうちに少しづつ出会いがある。尊敬できる人と出会い、雪が融け春が来るように水が動き出す時期があった。同時に自分の中で変化を感じることが増えてくると自分を取り囲んでいた環境を受け入れることができ、自分の居場所をしっかり持とうと思うようになった。そう思うと今でも苦手なのは変わらないが自分を発信しようとする気持ちが強くなってきた。セルフブランディングをきちんとした方が後々に良いと思う。私はこれが今でも苦手で、今でも苦労している。でも遠方から応援してくれる人がいること、コーヒーを手にして声を届けてくれる人がいて、その方達にも届くように声を上げなければならないと思っている。
生まれ育った街にUターンして起業してもこれだけ躓いた私からすると、移住とは様々なスタイルを要するのではないかと思う。街や行政が手を挙げて住みよい移住先を提案されても、移住される方ご本人の方向性と勇気、それに関わる努力が必要と感じる。夢や希望だけでは成し得ないことも多い。飛び込む新しい環境には「仕事」や「人間関係」などが入り組んでいる。自分のスタイルにあった、新しい自分との出会いやなりたい自分に近づいていくことも一つではないかと考えている。私は花瓶に生けられた花よりも地面に根を張り花を咲かせたい一心だったから、その取り囲む環境に怖さを感じていたし今でもそう感じている。しかしこれらを踏まえても移住とは夢の詰まったことが多いので、個人的にはとても応援したいと思う。私が秋田に戻ってこなければ、今の仕事や人たちと出会わなかった。根を張り育まれたことにより多くの人たちと出会えたことは何よりの経験値となっている。そして会社を持つことができたのも、秋田に育てられたからのことだと思っている。
ここで書いたのは正しいことでもなく、正解というものではない。
私が辿ってきた時間なので同じようなことで躓いている方がいらっしゃったらご参考になれば幸いだ。
会場でお声がけしてくれた皆様、駆けつけてくれた皆様、また会いましょう。