クマがやって来た
早いもので9月も終わりかけになった。
8月の暑さはお盆前からの長雨で穏やかになって夏は急に大人しくなっていった。それでも時折の晴れ間にはミンミンゼミの鳴き声は蒸し暑さを感じさせてくれたし、街灯の下にはクワガタが歩いていたりした。
毎朝ハクの散歩で神社まで歩いて行きお参りするのが日課になっていて、いつも見る景色に少しの違和感を感じて止まると枯れた木の幹が大きく剥ぎ取られている。そういえば、ハクは数日前にも神社の境内で異常なほど周囲を嗅ぎ回って唸ることもあったなと納得した。神社の周りを歩いてみるとわりと大きな廃材が散乱している箇所があった。先ほどの枯れ木の剥がし方といい、廃材の荒らされ方といい、神社周辺の森の中を歩くとハクは忙しなく鼻をひくひくさせたり唸り始めた。きっとクマの仕業に違いないと思った。
その日は駐在所に連絡をするとすぐにパトカーがきた。
一緒に現場を確認するとやはりクマのようなので注意してくださいと言われ、パトカーはクマ出没情報をアナウンスをしながらゆっくりと戻って行った。
それから数日後、父親の楽しみにしていたトウモロコシを全て食べて行った。
すぐそばの茗荷も踏み荒らされていた。
そうだった、前夜遅くにハクのお散歩に出るとすぐに畑の方へ向かってものすごく唸っていたから、すぐそばにクマがいたのだろうか。その時、ハクは聞いたこともないような低い唸り声を出したものだからこちらが怖くなった。
畑が荒らされてしまったこと、家や民家から数十メートルと離れていないこと、足を怪我してからスムーズに歩けない父親が畑に出れないこともあり、相談した結果は市役所の農林課へ連絡し、その翌日には猟師さんが箱罠を仕掛けることとなった。
猟師さんからは危ないから神社には行くなと念を押されていたのでお散歩の方向もエリアも極端に狭くなった。神社とはいえ、自宅の敷地内であり繋がっているものだから得体の知れない恐怖感が湧き上がってくる。出没頻度からしてわりと近くに定住している感じがあった。きっとこちらからは見つけられないだけでクマの方はとうに見つけて姿を見せないだけだろう。確かにバッタリと出会いたくはないが、しかしその本人がどういった感じのクマなのか、クマではないのか、見えない故の恐怖もある。どうしても仕事が終わって一息つく頃のハクのお散歩は夜遅くになってしまうから余計にソワソワしてしまう。
まさしく自然相手のこと、北海道でのことを思い出していた。
北海道では海や川へとたくさん釣り歩いていたし、カヌーやカヤックで、トレッキングでクマの気配を気にしながら仕事していたが生活圏でのことではなかったから、どちらかと言うとあちらはスリリングな経験だった。しかし今回のように自宅のすぐ横だと気を抜く暇がない。夜のお散歩はハクに話しかけながら歩いた。ハクは時折足を止めて暗闇の方を向いて唸ることもしばしば、それがクマなのか、タヌキなのか、カモシカなのか、またはネコなのか、どうなのか、いったい私は何に怖がっているのだろうか、そういう日々を過ごした。
箱罠を仕掛けて10日前後、まだ暗い午前4時を少し回ったところでコジロウが騒がしく吠えているので目が覚めた。
ずいぶん長く吠えていて収まりがつきそうもないなと思い、布団から這い出すと鉄格子を思い切り叩いているのか、近くで工事でもしているかのような妙な音が聞こえてくる。ハクは低い声で唸っており、ぴのは窓の外を見ている。その2人が同じ方向を向いているのでクマが罠にかかったのだと確信した。外に出てみると神社の森の方からバギャンっと何度も何度も叩く音が大きく響いてくる。どんな力で叩けばあのような大きな音が出るのか。猛烈に叩いている音を聞いているとそろそろ罠の入り口が壊れれてもおかしくないのではと鼓動が早くなる。
午前7時過ぎ猟師さんはやって来た。
銃声が響いた後、軽トラックに乗せられたのは荷台一杯に横たわる大きなツキノワグマだった。
幼い頃からクマが好きで、そしてとても怖かった。
北海道へ行きガイドの仕事で熊と出会った時には恐怖と嬉しさで全身が満たされたものだった。自然そのものを模倣している姿に畏怖と感動があった。鋭い眼光と愛くるしい動き、強くて臆病な性質、食物に対する執着心、全く生きる力に漲っている。「美しさ」とはまさにこう言うことなのかも知れないと、思い出の一片を手繰り寄せた。
身勝手なのも承知しているけれど、それだから、その日はどうしようもなく悲しかった。
クマと人が共存できる道は本当に難しいことだと思う。
環境にも左右され、生き方や考え方にだって影響する。自然相手にお互い様だとは言い切れないだろう。
生きる力を磨くこと以外他ならない。
そして、その日の夕方に食べるのも供養だと熊肉を受け取った。
どれどれと手早く料理にしてかぶりつくほど私自身は強い人間でないことはよく知っている。仕事も詰まっていた為に2日間冷蔵庫へしまっていたがどうも気が進まなかった。自分には越えるべき壁がまだまだあるのだと感じていたが、呑気にしている気もなく食べるということをずっと考えていた。今まで熊肉を食べたことは数回ある。気が進まないのは自分勝手な気持ちがそうさせているのがよく理解している。そう思えばこそ、目を背けているだけに過ぎないのだと、気高く生きていたものに対して真正面を向くなら、やはりきちんと頂こうと思った。
自分なりの「いただきます。」
言葉もままならない頃から口ずさんできた「いただきます」を、今こうしてやっと学べた気がする。
食べること、料理すること、生き死にへも繋がっているものだと感じる。
当然のことだが、生きることは残酷なことも含有されているのだから感謝できたら溌剌としていかねばならないなと納得した。
ハクは7月の終わりに縁あって私のところへ来た。
睫毛が綺麗な白色でとても綺麗な瞳をしているのが印象的だ。ただ右前脚の骨が先天的に外側へ曲がっているようで、これは治らないとのことだった。
ケージの中での生活が長かったせいか、ハクはとても臆病で警戒心が強くちょっとした変化にも敏感に反応する。
好奇心よりも警戒心のほうが優っている月齢なのでこればかりは慣れるまで根気がいる。
朝の神社で唸っていたおかげで色々と気が付けたことがあった。
人間とはまた違う生きる力を持っているものたちがここにはたくさんいるのだ。
それではまた。