人の背景にはたくさんの物語がある

主に撮影の仕事依頼はポートレートが多い。
柔和で自然な佇まいは写真には残りにくい時がある。特別な日の写真とは少し趣の異なる写真に感じていて、「シンプルな私」を写したいと思っている。それがご本人のスタンダードになっているからだ。そこにはとても魅力のある個性的な表情や眼差しが広がっているから撮影は面白く、また簡単には進まないことがある。自分の人生の主人公なのだから魅力的で、ある人のスタンダードが誰かにとって特別なスタンダードになる場合もある。面白いもので撮影になるとそこが引っ込んでしまうことは少なくない。カメラマン側で知らずに出しているプレッシャーもあれば、ご本人の緊張感もある。そして1枚の写真をきっかけにご本人の中で何かが動き出す瞬間がある。

「日本で最も美しい村」連合 季刊誌取材

2013年より「日本で最も美しい村」連合 季刊誌のカメラマンをさせて頂いている。全国に63加盟町村があり年3〜4回のペースで全国各地を取材同行している。そこで出会う人たちの生きる逞しさにいつも学びをもらっている。
下記ロゴマークは「日本で最も美しい村」連合のHPになっているので是非アクセスしてみて欲しい。旅行先にもオススメの土地が盛り沢山だ。

「日本で最も美しい村」連合
The Most Beautiful Villages in Japan

近年、日本では市町村合併が進み、小さくても素晴らしい地域資源を持つ村の存続や美しい景観の保護などが難しくなっています。私たちは、フランスの素朴な美しい村を厳選し紹介する「フランスで最も美しい村」活動に範をとり、失ったら二度と取り戻せない日本の農山村の景観・文化を守る活動をはじめました。名前を「日本で最も美しい村」連合と言います。

私たちは、小さくても輝くオンリーワンを持つ農山村が、自らの町や村に誇りを持って自立し、将来にわたって美しい地域であり続けるのをお手伝いします。具体的には、「日本で最も美しい村」のシンボルマークを、日本のみならず世界的にも観光地や文化地域としての目印にするのが目標です。フランスでは既にガイドブックや地図に載るほど有名な活動に成長しています。自然と人間の営みが長い年月をかけてつくりあげた小さな、本当に美しい日本は、いまならまだ各地に残されています。それらを慈しみ、楽しみ、そして、しっかりと未来に残すために。

自らの地域を愛する皆さんにご協力いただきながら、2005年10月に7つの村からスタートしました。「日本で最も美しい村」連合

会話の中で鈴が鳴る

季刊誌の取材時に編集長ジュリアーノナカニシさんとの会話の中で私が質問した答えが魅力的だった。

「ダイナミックな仕事がしたい」

頭と胸に刺さった言葉が私の中で生きている。この言葉の中には人生の時間がたくさん詰まっていると思う。自分もそうで在りたいという気持ちがリンクした。私の勝手な解釈であり大変魅力的なフレーズだった。
いかにジュリアーノナカニシさんのページに書かれているものを抜粋さてもらったので是非読んで欲しい。
取材で訪れた美しい村のお裾分けができたら幸いと思う。

美しい村研究室より抜粋記事

NPO法人「日本で最も美しい村」連合の季刊誌づくりを重ねて見えてくる、私たちの故郷「日本」の現代の姿。その場所だけの自然景観、人間の営み、暮らしや料理、言葉や文化の地域資源。日本の各地で育まれ、大事に残されてきた宝の数々。埃をかぶって輝きが鈍くなっているもの。一瞬に大量のストロボライトを浴びて、輝きを失ってしまったものなどを目にします。そして自分の仕事であるデザインを顧みて「何のための仕事であり、何のための命であるか」を問うことになります。
少なくともデザインとは現代性であり、端的に色とカタチで時代の要請に応える仕事。埃をかぶった都会以外の文化や暮らし。それは人間性そのものですが、そこに鉋をかけて内なる輝きを取り戻す。そのようなことを主眼に、デザインの視点で、日本で最も美しい村々に「現代性を取り戻したい」。日本各地のソフィスティケートされた繊細な文化と、それを創り出す人間性の復興にデザインで応えたい。その村々の生活が本物のアートであることを伝達する必要がある。そのような思いから、美しい村研究室(通称:村研)と名乗ることを決めました。

私の仕事が自由にする。

私たちは普段、廃校になった中学校の一室でグラフィックデザインやウェッブサイトの仕事をおこなっています。NPO法人「日本で最も美しい村」連合との出逢いは2007年、ソトコト主催のロハスデザイン大賞のWEBサイト。私たちのエントリー作品の近くにあった、「日本で最も美しい村」連合のロゴマークとその理念に強く惹かれました。社会のために汗水流し、労を惜しまない大人たちが現代の日本にいたのだ。山河を守り、地域の資源を磨き、美しい暮らしを取り戻す。人間らしくものをつくり、人間らしく人に接する。私たちはこの運動に共感して賛助会員に加わりました。

2011年3月11日に起きた福島第一原子力発電所の事故による放射能漏れによって、連合の仲間入りを果たした直後の飯館村の土地は汚染され全村避難を余儀なくされました。本当に美しい村が、人為的な事故により半永久的に住めなくなるほどに傷つけられたことに直面し、呆然とするしかありませんでした。私たちはより深く、「日本で最も美しい村」連合の運動に関わろうと思い、季刊誌づくりを始めました。

2012年2月から季刊誌づくりを始めて、取材、翻訳、校正、デザイン、印刷と多くの協力者のお力を借り、「日本で最も美しい村」連合の加盟村を1カ所づつ訪ねて取材するスタイルで発行を重ねています。加盟村はどこも山深い地域や離島と自然条件の厳しい場所ばかり。その厳しく濃厚な自然の中で生活する人のお話しは、やはり濃厚で「本物のクリエイティビティとはこれだ。仕事の本質は自分で価値を生み出すことだ」と実践されてる人ばかり。大きなものに頼らず自分で「仕事」を掴み取ろうとしている人の姿。自分の仕事でしか私は自由になれないのです。

2016年3月24日 EXAPIECO INC. ジュリアーノナカニシ

自社部門紹介のつもりが関わりのことの紹介になってしまった。
何はともあれ写真撮影のご依頼をご希望の方は、お気軽にお問い合わせフォームやメールなどでご連絡頂けたら幸いだ。